私の青春は新宿レコードにあった 2

前回の投稿の続きです。

高校時代の私はメタルにどっぷりはまっており、幸いにして新宿が通学路であったこともあり、新宿レコードに通うことができていました。
当時バイト禁止の学校で小遣いをやりくりし、少しずつレコードを買っていました。
今ならネットで音源・動画ともに簡単に手に入る時代ですが、当時は情報源はラジオや雑誌、輸入レコード店や大手書店の洋書コーナーにある洋雑誌くらいしかなく、深夜のラジオや音楽番組はとても貴重で、ましてPVで動くアーティストを見られるのはかなりのレアさ。
それでも何とか情報を仕入れられるのは東京に通っていたからなので恵まれていたと思います。
そういった時代だったので、新宿レコードで飾られているアーティストの写真などは本当に感嘆をもって見ていた次第だし、藤原ご夫妻とのちょっとした会話もとても楽しみでした。

受験を経て大学に入り、超初心者ながらも音楽サークルに入って楽しく学校生活に通っていた時も、ちょうど新宿は乗換駅で、ぼちぼちですが通っていたと思います。その頃にはレコードではなくCDの時代になっていました。

大学卒業後就職し、その後結婚、出産、子育ての時期。
私の音楽生活的には暗黒の時代だったと思います。
慣れない仕事を習得するため音楽からは離れ、ライブに行くのも年1回行くかどうか。結婚後はほぼ皆無で、三人の子どもを育てながらインターネットは導入していたものの、激しい音楽は聞く気になれず、当時の記憶があまりありません。
それでも、当時ネット通販を始めていたお店のホームページを偶然発見し、数回ですがメールを出したことを覚えています。
その頃はご夫妻のお子さんもお店に立っていたのか、お返事は息子さん?からだったように記憶しています。

三人目の子がぼちぼち大きくなり、保育園に通ってしばらくした頃に、現在一番好きなアーティストであるクレイジーケンバンドに出会い、ほどなくファンクラブにも入り、年1程度からライブに行くのを再開し始めてからは、私の心はすっかりメタルから離れていました。
今のバンドもわからないし…と昔のCDは聞いていたものの、当時一番よく聞いていたアルバムなどはレコードのままで、数枚は買いなおしましたが残りはそのままでした。

そうして時は過ぎていきました。
お店には結婚後1回行ったきりかな?と思います。心は離れていたのですが、お店に対する愛情は持っていました。
でも他の都合を優先して後回しにしてしまった。今では後悔しています。

一昨年の年末ごろにTwitterにてご夫妻がお店を後任の方に譲って引退なさるという話を聞きました。
同じ頃に会いたい人に会いに行かずにそのまま今生の別れを体験していたので、これは何をもってしても会いに行かねばならないと思い、引退前の1月下旬、お花を持って会いに行きました。
年齢にして私の親の世代よりちょっと上であるご夫妻はちょっと小さく見えましたが、何となく覚えていてくださったかなと思います。
高校生の時によく聴いたEuropeのライブを買ったら、ほかのアルバムを記念にと数枚入れてくださいました。
新宿レコードは愛にあふれた私の青春のお店でした。

ちょうど1年ほどたった今年三月、マダム藤原の訃報をネットで聞きました。
涙が止まりませんでした。
勝手な思いですが、肉親を失ったのと同様の悲しみでした。
昨年1月にお会いしてから全く交流はありませんでした。聞くところによると、ほかの方とも交流をしていなくて、静かにお暮しだったそうです。
だからこそ、昨年会いに行ってよかった。その時はそんなに早く別れが来るとは思わなかったけど、ありがとうを言えてよかったです。
マダムのご冥福をお祈りするとともに、ご主人のご健康をお祈り申し上げます。

後任のジェフ佐藤さんによって新宿レコードは新たな道を進み始めています。
私も前回投稿した通りHelloweenによって少しずつメタルを聞くようになってきました。
今度は下北沢にて新たなCDとの出会いを持ちたいと思います。

こちらのリンクは新宿レコードの物語がかかれているものです。

https://ameblo.jp/nihonyogaku/entry-11584130787.html

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