ムギ畑について
1996年に結婚し、ちょうど1年後に母になった。
妊娠中はつわりに悩まされ、仕事を続けられず退職した。
出産後は乳飲み子を抱えてできる仕事を…と思い、すがるようにパソコン通信で情報をあさった。
ニフティのワーキングマザーフォーラム、子育てフォーラムは当時の私の心の支えだった。
どうにか入力の仕事を得て子どもの保育園のために開業届を出し、細々とではあったが自分のワーキングマザー(WM)の仲間の末席に座れたことにほっとするとともに、インターネットでWMが集うコミュニティがあるよと教えられて入会したのが「ムギ畑」だった。
郊外に住んでいたので一人目の時は保育園に入れるのも容易だったが、二人目の時はすぐには入れず保育ママさんにお世話になったり、やむなく自分で面倒を見ながら夜中に起きだしてPCの前に座り、生活リズムをズタズタにしながら仕事をするときもあった。
ムギ畑は会社員のWMが多数派であったけど、子育てに時間が足りないのは同じ、いかに生活を回していくか、煮詰まらないかを話す場としてとても精神的な支えになったと思う。そのうち何となく友達もできて、コメントを付けあったり夜中のチャットでリアルタイムで話したりができてとても楽しくなった。
勇気を出してオフ会に出席し、まだ幼児だった子どもたちを温かく迎えてもらえたこともいい思い出だ。
畑が大所帯になり、職種・世代もいろいろになってきたので部会というか趣味や同じ境遇の人たちで集う「倶楽部」がいくつか誕生し、そのころ私も雑誌やネットに寄稿していたライターの端くれとして「くりこみ’s倶楽部」に参加させてもらえた。そこにはフリーランスで働く母たちのいろいろな創意工夫から雑談まで、まさに宝物がつまっていた。たくさんの先輩方、友人もできた。積極的に話をするときちんとそれぞれの立場で応えてくれるのがうれしかった。
そこから仕事を創造しあう仲間のグループ、フラーレンも誕生した。
子どもたちの中学受験のための悩みを吐露する場にも助けられた。そんな子どもたちも上の子は大学3年、今年は大学の最終学年になる。
Orkut、mixi、Facebook、Twitterなど、各種SNSが生まれ、リアルな友人とも話す機会も増えたが、ネットで仲良くなった友達との絆も大切なものだった。年代も職種も住んでるところも違うのに、なぜか話が弾む不思議。そんなミラクルな体験をさせてもらえたのはまさにムギ畑だった。その後もWebの上だけでまだ顔も知らないという人々と抵抗なく話ができるようになったのも、畑のおかげだったと思う。まさにコミュニケーションの間口を広げてくれたのがWMの諸先輩方、同志たちだった。
その「ムギ畑」が先月末をもってクローズされることになった。
この数年はあまりアクセスもせず、畑でできた友達とは他のSNSで話ができるので存在を忘れていることもあったけど、私の大事な大事な場所であったという事実には変わりはない。
正直、無職になった時期に会社勤めの方の優雅(に見えた)な生活にうらやましげに指をくわえているときもあった。華やかなクリエイターの方々の活動にあくまで地味な私の仕事ともいえない仕事と比べて引け目を感じた時もあった。
でもみんな必死で生きているんだ。今ではやっとそれがわかる。その人の人生を必死に生きている。そのことに優劣などなく、自分は自分の人生を見つめるのみだ。
年齢も上がり、入会当時はアラサーだった私もアラフィフとなった。
子育て後のこと、老いていく自身の体や親の介護のこと、そして終活など、人生の幕引きについてちらつくこともある。
若い人の危なっかしい育児や生活に小言を言いたくなる時もある。
そしたらどこかでガス抜きをしよう。友達に甘えよう。依存すぎず心地よい関係を心がけよう。
何より、笑ってばかりの人生にしよう。
そんな友達をたくさんつないでくれたムギ畑に関わる皆さんに、ありがとうを改めて。
ムギさんこと勝間和代さん、畑の運営に携わってこられたたくさんの皆様、改めてお礼申し上げます。